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ネットも、便利な家電もない時代。

「農地」は人々の収入源でした。

「農地が増えれば、皆の人生が良くなる」

椎名道三はひたむきに、農地開拓に力を注ぎます。

そして、椎名道三は教えてくれます。

地域のために、人のために働く尊さを。

できることをやり切り、貢献するとは何かを。

【ハテナの街の軌跡】第九回ミュージカル「郷義弘」



ハテナの街のコンサート実行委員会として、第九回のミュージカルとなったのが「郷義弘」でした。


郷義弘とは、魚津の国宝作家であり、稀代の若き刀匠として名の知れた武士。


鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて生きていた、実在の人物です。

魚津市松倉の虎谷に住んでいたとされています。


義弘の作品には銘が刻まれていませんが、気品の高さで多くの武将に愛用され、現在は国宝や重要文化財として保存されています。

郷義弘の日本刀は、現代でも見ることができます。


国宝2口、重要文化財5口、重要美術刀剣5口が遺されています。



郷義弘の刀のすごさは、江戸時代の将軍吉宗が鑑定家に作らせた「刀剣名物帳」に、天下三作(つまり歴代の刀工ベスト3にランクイン)として載っていることからもうかがえます。


それほどの腕を持ちながら、郷義弘は27歳でこの世を去ります。



国宝を生み出した、郷義弘の物語をミュージカルとして表現した作品です。


ミュージカル当日、郷義弘の御子孫が会場へ来てくださいました。

ありがとうございます!!!



あらすじ


鎌倉時代末期、幕府は財政が疲弊し治安が乱れ、当地能力を失いつつある。


郷義弘は越中守護代井上俊清配下の武士である。

俊清とともにひそかに勤皇倒幕の志を抱いている。


作刀を生き甲斐とし、腕前は全国有数だ。


後醍醐天皇即位の御守刀の公募があり応じるが、正宗が当選する。


鎌倉に赴き、正宗に弟子入りし極意をつかむ。

松倉郷に帰り、作刀に没頭するが、正中の変がおこり幕府は勤皇倒幕の志士を徹底的に探索する。


追手が主君俊清にも及びそうになり、義弘はひとつの決断を下す。




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